ナイアルの徒然 クトゥルフ神話TRPGは「死にやすい」のか? 忍者ブログ
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ぜっぱち先生のところで語られていたので。
死にやすい!
(いやまあ言い方次第だが)

基本的にPCのリソース(HP/SAN)は回復手段に乏しく、あっても非効率的かコストに見合わない。
(現代を舞台にすれば若干改善する。が、『ガスライト』や『ダークエイジ』・『帝國』ではより悲惨になる。『ヒューペルボレア』の場合は…まあそれも選択の内だ)
結果、PCリソースは漸減することになり、最終的な死や発狂は避けがたい物としてデザインされている。
これはもちろん「迫り来る死や発狂の恐怖に怯えながら真相究明や脱出を目指す」という背景世界の再現に効果的に機能しているわけだが、一方で「これ以上進めれば確実に死(発狂)を迎える」という状況を生み出す。
背景世界のお約束としては「避けがたい死に向かってゲームを進める」方がらしいと言えるが、
この時PCを死なさない・発狂させないためには「以降のゲームに参加しない」あるいは「このキャラクターでのゲーム進行を諦める」他にないわけだ。
これはたしかに「キャラクターの死」を意味しないが、「ストーリー上の登場人物の死」としては等価だろう(どのみちPLがゲームに再参加するためには新しい探索者を用意しなければならない)。

ここでポイントなのは、
「リソースの漸減ペースをどう設計するか」はキーパーに
「進行不能状態をどう見積もるか」はプレイヤーに
依拠しているということだ。

「キャンペーンシナリオだから3,4話は生きてる前提で」とするか「単発だし一話でギリギリになってもらいましょう」とするかはキーパー側の想定だし
プレイヤーがどの程度のHP/SANを撤退点と判断するかはプレイヤーの判断となる。
キーパーが「この先もこのキャラクターを使って欲しい」と考えても、プレイヤーが「次回開始SANが40を切るし、潮時かな」と判断されればPCは「死ぬ」。
逆に、高ペースなリソース消費を想定しているにも関わらずプレイヤーが全く引き際を考えず突っ込んでいけば文字通りの「死」が待っているわけだ。

PCが「死なない」=「以降のゲームに参加できる」可能性はキーパー・プレイヤーともに「PCを生かしておこう」と判断している状況においてのみ発生しうるわけで、
御大が出てこようがこまいが、「死にやすい」と言える。




 
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