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というわけで、フブキさんのシナリオの感想も
こっちがメインシナリオだろとか言わない
こっちがメインシナリオだろとか言わない
こっちも最後が「なんだかなあ」であった。
まず大前提として、「神姫の記憶は羽根より軽い」。
神姫の記憶やパーソナリティをつかさどるのはヘッド・素体・そしてCSCの三ケ所。
そして、そのうちのどれを入れ替えてもその記憶はいったんリセットされ、もとに戻ることはない。
いったん素体を買ってしまえばそのあとは大丈夫、とはいかず、より高性能なCSCチップに入れ替えなどするだけでも再度戦闘経験やコミュニケーションを構築しなおさなくてはならないのはバトルロンドで描かれた通り。
もちろん「記憶のリセット」はその時点でのパーソナリティの「死」を意味するわけで、バトロンでの「お別れ(と言葉を濁しているが、事実上、マスター自身がその神姫を「殺す」ということだ)イベント」はさまざまなドラマを見せてくれる。
しかし、パーツ構成を含めた「最強」を目指すためには必然的にリセットと再育成を繰り返すことになり、マスターにとっての「個々のメモリ」の価値は逓減していく。
フブキイベント冒頭でも、主人公と友人は非常にカジュアルにフブキのメモリを消そうとしており、こうした行為がごく当たり前の手順でしかないことを思い知らされる。
一方で、長く育成を続けていれば当然ながら情もわく。そうなったとき、では目の前の「パーソナリティ」の価値とは。
カジュアルに消しているはずの「メモリ」、そこから立ち上がる「パーソナリティ」への「思い入れ」。
「神姫の記憶」の「意味」と「価値」、これはアニメでも取り上げられていた、神姫にまつわる大きなテーマの一つである。
前半(無印)のシナリオは、「フブキの中に眠る昔の記憶を消すべきか」がテーマだが、一方で「記憶を伴ったパーソナリティとして目の前にいるフブキ」への思いをどう処理するか、が問われてもいる。
ここで、もう一つのポイントとして「フブキが主に忠実な基本性格設定である」というのが響く。
「二君に仕える」状況を良しとしない、以前のマスターへの思いを抱いたまま今のマスターである主人公に仕えるのは「正しくない」というフブキ自身の価値観が、彼女をして「記憶を消してください」と言わしめる。
記憶を消す結果がどうなるかは先に書いた通りで、つまるところ「私を殺して」と訴えるに等しい葛藤がそこにある。
……まあ、この展開で選ぶべき道は一つ、なのだが。
さて、それを踏まえて後半では「フブキの記憶に障害が発生し、いろんなことを忘れていってしまう」という展開。
お約束なメロドラマながら、前半での「記憶の価値」を再認識させたうえでのこの展開は心憎い。
「忘れる」ことで今の主を裏切ることになる、その事実を恐れるフブキが今度は「私を破棄してください」と死を希うのも、前半の「記憶を消して」という切望への見事な裏返しとなっている。
クライマックス、すべてを忘れたフブキが「昔のフブキ」の手紙を朗読するお約束な演出も、切々とした文面の内容と、その内容に実感がゆかない「今のフブキ」の感情を伴っていない演技が好対照。
問題は、結末。
この後もフブキを操作キャラとして使い続けるというゲーム的な要請として「ハッピーエンド」でなければ困る。
しかし状況は完全に「詰み」であり、奇跡でも起きない限りはハッピーエンドにはならない。
……まあ奇跡起きるよね。
(個人的にはバッドエンドでも良かったとは思うのだが、これはジャスティス型の話のほうで補完されているとも言える)
奇跡が起きるのはいいが、その奇跡に対しての伏線がなさ過ぎて、「とってつけた」という印象がぬぐえない。
キーアイテムがいよいよ大詰めってところでなんとなく出てきたのはさすがに許されるものではない。
日常シーンの描写でちょっと触れておくとか、かつての知人に話を聞いたときになんとなく話題に乗っているとか、そういう「奇跡の前ふり」をちゃんとおかなくてはダメだろう。
主人公たちにとってはご都合主義の奇跡でも、お話の流れとして「必然」と納得させられるだけの積み重ねは必要だ。
ただ、フブキシナリオに関しての最大の問題は、このキーアイテム周りの取り扱いまで含めて、
メインシナリオ後半のジャスティスにまつわるエピソードでほとんどそのまま踏襲されてしまっているということにある。
ほとんど「裏のメインシナリオ」といえるほどのかぶりっぷりで、しかもフブキシナリオのほうがよほど構成上の組み立てがうまい(ご都合主義な奇跡の部分を差し引いても)
それならそれで、キーアイテム周りのギミックについてメインシナリオの設定を拾うとか、もうちょっと絡めようはあったと思うのだが……
まず大前提として、「神姫の記憶は羽根より軽い」。
神姫の記憶やパーソナリティをつかさどるのはヘッド・素体・そしてCSCの三ケ所。
そして、そのうちのどれを入れ替えてもその記憶はいったんリセットされ、もとに戻ることはない。
いったん素体を買ってしまえばそのあとは大丈夫、とはいかず、より高性能なCSCチップに入れ替えなどするだけでも再度戦闘経験やコミュニケーションを構築しなおさなくてはならないのはバトルロンドで描かれた通り。
もちろん「記憶のリセット」はその時点でのパーソナリティの「死」を意味するわけで、バトロンでの「お別れ(と言葉を濁しているが、事実上、マスター自身がその神姫を「殺す」ということだ)イベント」はさまざまなドラマを見せてくれる。
しかし、パーツ構成を含めた「最強」を目指すためには必然的にリセットと再育成を繰り返すことになり、マスターにとっての「個々のメモリ」の価値は逓減していく。
フブキイベント冒頭でも、主人公と友人は非常にカジュアルにフブキのメモリを消そうとしており、こうした行為がごく当たり前の手順でしかないことを思い知らされる。
一方で、長く育成を続けていれば当然ながら情もわく。そうなったとき、では目の前の「パーソナリティ」の価値とは。
カジュアルに消しているはずの「メモリ」、そこから立ち上がる「パーソナリティ」への「思い入れ」。
「神姫の記憶」の「意味」と「価値」、これはアニメでも取り上げられていた、神姫にまつわる大きなテーマの一つである。
前半(無印)のシナリオは、「フブキの中に眠る昔の記憶を消すべきか」がテーマだが、一方で「記憶を伴ったパーソナリティとして目の前にいるフブキ」への思いをどう処理するか、が問われてもいる。
ここで、もう一つのポイントとして「フブキが主に忠実な基本性格設定である」というのが響く。
「二君に仕える」状況を良しとしない、以前のマスターへの思いを抱いたまま今のマスターである主人公に仕えるのは「正しくない」というフブキ自身の価値観が、彼女をして「記憶を消してください」と言わしめる。
記憶を消す結果がどうなるかは先に書いた通りで、つまるところ「私を殺して」と訴えるに等しい葛藤がそこにある。
……まあ、この展開で選ぶべき道は一つ、なのだが。
さて、それを踏まえて後半では「フブキの記憶に障害が発生し、いろんなことを忘れていってしまう」という展開。
お約束なメロドラマながら、前半での「記憶の価値」を再認識させたうえでのこの展開は心憎い。
「忘れる」ことで今の主を裏切ることになる、その事実を恐れるフブキが今度は「私を破棄してください」と死を希うのも、前半の「記憶を消して」という切望への見事な裏返しとなっている。
クライマックス、すべてを忘れたフブキが「昔のフブキ」の手紙を朗読するお約束な演出も、切々とした文面の内容と、その内容に実感がゆかない「今のフブキ」の感情を伴っていない演技が好対照。
問題は、結末。
この後もフブキを操作キャラとして使い続けるというゲーム的な要請として「ハッピーエンド」でなければ困る。
しかし状況は完全に「詰み」であり、奇跡でも起きない限りはハッピーエンドにはならない。
……まあ奇跡起きるよね。
(個人的にはバッドエンドでも良かったとは思うのだが、これはジャスティス型の話のほうで補完されているとも言える)
奇跡が起きるのはいいが、その奇跡に対しての伏線がなさ過ぎて、「とってつけた」という印象がぬぐえない。
キーアイテムがいよいよ大詰めってところでなんとなく出てきたのはさすがに許されるものではない。
日常シーンの描写でちょっと触れておくとか、かつての知人に話を聞いたときになんとなく話題に乗っているとか、そういう「奇跡の前ふり」をちゃんとおかなくてはダメだろう。
主人公たちにとってはご都合主義の奇跡でも、お話の流れとして「必然」と納得させられるだけの積み重ねは必要だ。
ただ、フブキシナリオに関しての最大の問題は、このキーアイテム周りの取り扱いまで含めて、
メインシナリオ後半のジャスティスにまつわるエピソードでほとんどそのまま踏襲されてしまっているということにある。
ほとんど「裏のメインシナリオ」といえるほどのかぶりっぷりで、しかもフブキシナリオのほうがよほど構成上の組み立てがうまい(ご都合主義な奇跡の部分を差し引いても)
それならそれで、キーアイテム周りのギミックについてメインシナリオの設定を拾うとか、もうちょっと絡めようはあったと思うのだが……
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